「ほっ」と。キャンペーン

税理士のつぶやき


by heartfield
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28

カテゴリ:バックパッカーの旅日記(1)( 20 )

2001.3.9 旅13日目

 今日は6:00AM頃にトイレから聞こえてくる友人の嘔吐の音で目が覚めた。何と友人は、昨夜の晩から下痢と嘔吐の連続で全く寝られなかったらしい。トイレから出てくる彼はかなりグロッキーになっていた。完璧に何かにあたったのだ。前回のネパールでの下痢とは少し様子が違う。不安がよぎった。友人はベッドに横たわって数分経つとまた起き上がってトイレに行く。今度は下痢だ。嘔吐と下痢が交互に彼を襲っている。
 とりあえず、僕は外出して、近くの「セブンイレブン」で水、オレンジジュース、ヨーグルトなどを買ってきた。友人はオレンジジュースを少し飲んだだけで、ベッドの上で苦しがっていた。脱水症状を起こしている。顔は青白く、頬もこけている。みるみる痩せていっている。僕はすぐさま日本から持ってきた英和辞書と和英辞書をバックパックから取り出して、何とか友人の症状を英語で言えるように調べた。
 友人は、とうとう限界がきたのか、「病院へ連れて行ってくれ・・」とかぼそい声でSOSを出した。
(わかっとるわいっ!待っとれよぉ!)
 早速、カウンターのおばさんに英語で友人の症状を説明して何とかタクシーをここへ呼んでくれないかと頼んだ。・・が全く聞き入れてくれなかった!私は関係ないよみたいな態度をとられた。
(くそったれぃ!もうアンタには頼まん!)
 一旦、部屋へ戻って友人をかついでメインストリートまで出た。タクシーかトゥクトゥク(インドでいうオートリクシャー)が通らないか、しばらく辺りを探した。すると運がいいことにタクシーがこっちにくるではないか!?
「Hey!」
 タクシーは僕らの前で止まった。友人を後部座席へ寝かせ、僕は助手席で「地球の歩き方」の地図を運転手に見せながら「プラ・ラーム病院へ連れて行ってください!」と言った。「プラ・ラーム病院」とは、何とこの旅の初日、タイへ向かう飛行機の中で友人の左隣に座っていた京都大学に通うタイ女学生に教えてもらった病院だった。何ともこんなところで役立つとは・・!この病院には日本人が働いているらしい。
d0066442_20403348.jpg

 タクシーの運転手も英語がほとんど通じない。ジェスチャーと地図だけで何とか一時間弱かけてプラ・ラーム病院へ到着した。玄関にはすでに何人かの看護士が待機していた。車が止まるや否や、看護士が後部扉を開けて友人を担架に乗せて病院内へ連れて行かれた。僕は運転手に代金を支払って、領収書をくださいとお願いした。しかし、運転手はニヤけている。仕方がない、サインだけでももらっておこうと思った。
「Sign please!」
・・・・。ダメだ。通じない。そ、そうか「Sign」じゃ通じないかもしれない。
「Signature please!」
・・・。ダメだ。英語が全く通じない。病院までかかった車代の領収書を取っておけば、あとで保険会社に請求できると考えていたから僕は運転手にお願いしたのだ。しかし無理だとわかった。
僕はあきらめて病院内へ入って友人がどこへ連れて行かれたのか探そうとした。するとロビーで女性が私に声をかけてきた。その人の名は「マリコ」と言った。日本人女性だった。ここで長年勤務しているそうだ。
(助かった・・。)
 マリコさんに友人の診察等の手続きの代理を頼まれた。そして、マリコさんと一緒に友人が今診てもらっている部屋へ行った。部屋の中に入るとそこには年配の男の先生と看護士とベッドの上でほとんど意識のない友人がいた・・・。
d0066442_2041511.jpg


 
[PR]
by heartfield | 2006-01-21 20:43 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.3.8  旅12日目

 今日は4:30AMすぎにバンコクの「タイ国際空港」(ドンムァン空港)に到着した。ほとんど睡眠はできなかった。とりあえず入国手続きをして荷物を受け取って一階のロビーでへたり込んだ。時差ボケも影響しているのか、体は疲れきっているのだが脳は起きているという状態だ。早朝だけに交通機関の関係でなかなか身動きがとれない。しばらくボケーっとしていた。
d0066442_19484610.jpg

 ようやく交通機関が動きだしたところで僕らは市バスに乗ることにした。僕らはタイの安宿街でとても有名な「カオサンロード」へ行くことにしていた。空港を出てちょっと歩いた所にバス停はあるのだが、次々に来るバスはどこ行きなのか全然書いてない・・・。いや、書いてあるのかもしれないがタイ語で何が書いてあるのかさっぱりわからない。仕方なく、バス停で待っていたタイ人に聞いてみるものの英語が通じない。ここタイは、インド・ネパールに比べると英語を話せない人が多い様な気がした。何人かに聞いてみると英語を話せる人に遭遇してカオサン行きのバスを教えてくれた。
 僕らはバスに乗り込み、約1時間ちょっとでカオサンへ到着した。友人は過去にカオサンへ訪れたことがあったみたいだ。バスを降りてからは彼の案内で多少迷いながらではあったがカオサンロードへ到着した。ちょっと幅の広い道路の両側に安宿街やら食べ物屋やらコンビニやらと色々なお店がひしめきあっていた。歩いている人はと言えば日本人と西洋人がほとんどだ。インド・ネパールを体験してきて、いざここにいる日本人の群れを見るとヘドがでそうだった。3~4人のおしゃれな若者が一緒に群れをなして歩いている。僕はと言えば口ヒゲも顎ヒゲも頬ヒゲも全部うっすらだがつながっていた。(一切ヒゲを剃っていないため)心の中では僕は彼らを見下していた。
(あぁ、何と平和な場所だろう。ここじゃぁ刺激もあんまりないなぁ。。インド・ネパールが恋しい・・。)
d0066442_19492423.jpg

 僕らはとりあえず宿を決めるべく、何件かまわってようやく「プライバシーホテル」という安宿に落ち着くことにした。細い路地の奥にそのホテルはあり、オープンのカウンターでおばちゃんが一人座っていた。ツインルームでエアコン付きの部屋をとった。階段で3階まで上がり部屋に入った。毎度のことだが部屋に入ってまずすることは「洗濯ひも(ロープ)」をどこにつけるかを試みることである。ここでは一方の端をカーテンレールにくくりつけ、もう一方は壁から出ている突起物にひっかけた。二人とも腹が減っていたのでとりあえず外に出てご飯でも食べようということになった。カオサンには色々な食べ物の屋台がある。二人とも麺が食べたかったのでタイ風ラーメン(バミー・ナム)を食べた。これがまた美味しい!インド・ネパールでは決して味わうことのできない味だ。スープも全部飲み干した。ご飯を食べ終えると僕らは近くのマーケットへ行って安いシャンプーを買って宿へ戻った。そしてすぐに爆睡した。
d0066442_19495793.jpg

 18:00AMすぎに再び起床した。起きてすぐだが腹が減っていた。また二人で外へ出て近くの屋台で晩ご飯を食べることにした。僕はチャーハン(カオパット)と野菜炒め、シンハビールを注文。友人はご飯の上にイカがのっている食べ物と野菜炒め、シンハビールを注文した。味はやっぱり美味しかった!たらふく食べた。友人はまだ足りなかったのか近くのフレッシュドリンクを売っている屋台で「マンゴージュース」を2本買ってきた。飲みながら歩いて宿へ戻った。ジュースの量が多かったので僕は途中で飲みきれずに捨てた。
d0066442_19505935.jpg

 それにしてもタイはインド・ネパールに比べると快適でとても安心して暮らせそうだ。心地よいと言えば心地よいが、逆に物足りなさは感じた。特にインドでは道を歩いていると何人ものリクシャーのオヤジに声を掛けられ、バクシーシには「金をくれ」と言われ、何と言おうか、ここよりも人と人とのふれあいがあったのからか、ここ「カオサン」はふれあいを感じない。ある意味、面白くないのである。もう少し緊張感が欲しいと思った。もう少しここにはいようとは思うが、僕らはプーケットで楽園生活を楽しむのが最終目的だけに今後の予定を友人と話した。話合っているうちに二人ともまた睡魔に襲われ、そのまま爆睡タイムに突入した・・・。
d0066442_19581996.jpg

[PR]
by heartfield | 2006-01-18 19:58 | バックパッカーの旅日記(1)
 う~ん、困った。現在地がわからなくなってしまった。またまた通行人に勇気を出して聞いてみた。その人のおかげで現在地も把握し、もう一度「タイ航空」デリー支店へ戻ってみた。すると、友人も交渉を終えたところだった。結局、2人で再度、「インド政府観光局」を探すことにした。さすがに2人だと発見するのも早かった。なんとかデリーのマップを入手した。
 友人の話によると、今のところ満席でキャンセル待ちの状態らしい。結果は16:30PMにわかるみたいだ。仕方がないので、それまでの間に街を探索してみた。すると、「マクドナルド」があるではないか!?興味津津で中へ入ってみることにした。メニューを見ると、さすがはインド!ヒンズー教の国だけあって、牛肉は一切使用していない。メニューにあったのはマトン(羊肉)、チキン、それとベジタリアン用のバーガーだった。僕らは珍しいマトンのハンバーガー「マハラジャ・マック」を注文した。味は特別くせもなく、美味しかった。僕らはしばらく店内にいることにした。店内は金持ちのインド人がほとんどだ。金持ちじゃないとハンバーガーなんて食べられないのだろう。カースト制度とは恐ろしいなぁ。。
d0066442_20255373.jpg

 それから僕らはマクドナルドを後にし、街をぶらぶらして時間を潰した。そして、ようやく16;30PMになった。すぐさま「タイ航空」デリー支店へ直行した。
(頼む!誰かキャンセルしててくれぇ!)
 中へ入って早速カウンターにいるおじさんに聞いてみた。すると、何とチケットが取れたのである!あ、ありえない!日本のどこの旅行会社に聞いてもFIXチケットの変更は絶対無理と言うだろう。どのガイドブックにも絶対無理と書いてあるだろう。それがなんとできちゃったのである!これは超ラッキーなことだ!離陸は本日3月7日深夜00:10分だ(正確には8日)。ただ、今回の変更にあたっての変更料が少し高かった。ドルで支払わされた。カウンターのおじさんも妙ににやけていた。ほんとは最初から空席があったのではないかと少し疑ってしまった。僕らは今回の旅の準備で日本で数万円を1ドル札に両替していた。だからドルで支払うことができたのである。
 僕らは早速にも、オートリクシャーに乗ってデリー市内の旧建物を見学した。大急ぎで、ムガル帝国時代に建てられた「ラール・キラー」という城や「ジャマー・マスジッド」というモスクを見た。建物内は人がうじゃうじゃいる。その人ゴミの中で両手両足のないおじさんが自分を見世物にしていた。ただ寝転がっているだけだ。哀れだと思うならお金を恵んでくださいという意味だ。こんな弱者をほっとくインド政府に怒りを感じた。
d0066442_20303127.jpg

d0066442_2030481.jpg

 時間は19:00PMをまわっていた。夕食はレストランで「タンドリーチキン」を食べた。とても美味しかった。そして宿へ戻り、宿のスタッフ達と記念撮影してオートリクシャーで「空港バス乗り場」へ向かった。搭乗手続き等の関係で21:00PMすぎには空港に到着しなければならない。しかし、バスの次の発車時間が22:00PMだった。これにはさすがに参った。
「しょうがない!少し高いがタクシーで行こう!」
「ちょ、ちょっと待った!それだとインドルピーが足らんわ!」
 財布の中のインドルピーはほとんど底をついていた。両替すればいいだけの話だが、どうやら近くには両替所もなさそうである。う~ん、困った!2人して焦る焦る。バス乗り場であれこれ考えていたら、たまたまオートリクシャーのオヤジが声をかけてきた。こちらの事情を話すとオヤジは「5ドルで行ってやる」と言い出した。5ドルといえばめちゃめちゃ高額だ。でも仕方がない。そのオヤジに5ドル支払って乗せてもらうことにした。
(頼むでオヤジ~!21時に間に合わせてくれよ~!!)
 オンボロバイクなもんだからエンジンがビービーうるさい。それでもオヤジは可能な限りスピードを出して飛ばす。夜風が頬をたたきつける。対向車のライトがやけにまぶしい。オヤジは無言だ。僕らも無言で各自腕時計とにらめっこだ。
 ようやく40分かかって空港に到着した。なんとか21時には間に合った。オートリクシャーで空港へ入る人なんてあまりいないような気がした。空港の近辺を見てもほとんど車だからだ。オヤジに礼を言ってオヤジは去っていた。僕らは搭乗手続きをしてから空港内をブラついたりお土産を買ったりした。結局、00:10AMすぎに無事離陸した。機内でビールを飲んだり、機内食のインド料理を食べた。これでもうインドとおさらばだと思うと少し寂しかった・・・。
d0066442_20384698.jpg

[PR]
by heartfield | 2006-01-11 20:44 | バックパッカーの旅日記(1)
 僕らは約3時間かけて「ニューデリー」駅に到着した。時間は20時を過ぎている。完全に日は落ちている。それにしてもここニューデリーはインドの首都だけあってとてもにぎやかだ。人も多い多い。デリーはどうやら「ニューデリー」と「オールドデリー」から成るようだ。僕らは早速にも今日の宿を決めるべく、安宿が多い「オールドデリー」の方向へ歩いて行った。
d0066442_21134559.jpg

 オールドデリーもごちゃごちゃしてて安宿もそこそこあった。その中から適当に選んで交渉したら難なく泊まれた。とりあえず荷物を部屋において近くの食堂で初の「ターリー」(マトン)というインドの庶民食を食べた。味は美味くはなかった。しばらく列車移動が続いたので僕らはすぐに宿へ戻ってシャワーを浴びて爆睡した。


2001.3.7 旅11日目

 今日は9:00AMすぎに起床した。外出の用意をしていたらドアをノックする音が聞こえた。何かと思い、ドアを開いたら「部屋を替わってくれ」とオーナーが言ってきた。そういえば昨日チェック・インする時にオーナーに言われたのを思い出した。仕方なく、部屋を移動した。
 屋上へ昇る階段を発見したので僕らは屋上へ上がってみることにした。屋上から見えるオールドデリーの景色はバラナシのように少しごちゃごちゃしていた。写真を何枚か撮ってから外出した。
d0066442_21142737.jpg
 
 まず僕らは郵便局へ行った。昨日アーグラーで書いた手紙を郵送するためだ。続いて僕らは「コンノート・プレイス」へ向かった。この場所はニューデリーのヘソにあたる場所である。大きなロータリーのようになっており、さまざまな店舗がひしめき合っている。ここ、コンノート・プレイスで僕らは「タイ航空」会社を探した。なぜならバラナシでのオヤジともめた件が効いたのか友人が早くインドを脱出したいと考えていたからだ。僕らの所有するインド発バンコク行きチケットは約1週間後であった。格安航空券(FIX)だけに日付も時間も絶対に変更はきかない。それを承知で友人はタイ航空に直接交渉すると言うのだ。どのガイドブックにも絶対に無理と書いてある。果たして変更できるのだろうか。
d0066442_21151433.jpg

 「地球の歩き方」を見ながらタイ航空会社を探すもののなかなか見つからない。仕方なく、人に聞きまくった。その甲斐あってかやっと見つけることができた。友人は早速にも「今日中にバンコクへ帰らなければならない!」とウソをついた。普通にインドに飽きたから出国したいと言っても通用しないと目論んだのだろう。あの手この手で一刻も早くバンコクへ向かわなければならないということをアピールしている。その間、僕は友人に「インド政府観光局」へ行ってデリーのマップを貰ってきてくれと頼まれたため、一人街へ出てインド政府観光局を探すはめになった。
 ガイドブックを見ながら、インド政府観光局を探すものの、実際と地図が違うのか全然わからない。僕は方向音痴なほうではないが今回ばかりはお手上げだ。仕方がない。人に聞くしかない。ガイドブックを片手に道行く人々に勇気を振り絞って尋ねてみた。するとみんな親切に教えてくれた。で、教えられた場所に行ってみるものの、そこにはインド政府観光局の文字すらない・・。そのうち、ここがどこなのかもあやふやになってきた・・
[PR]
by heartfield | 2006-01-02 21:20 | バックパッカーの旅日記(1)
 ここタージマハールはとても神聖な場所である。飲食は絶対禁止である。友人はそれを知らずにマスカットを持って入ろうとしたら入り口で取り上げられた。中に入ると金持ちのインド人がたくさんいた。もちろん世界各国から訪れている人が圧倒的に多かったが、僕らはまざまざとインドのカースト制度の現実をつきつけられた。敷地内ではカメラで写真を撮りまくってるインド人がいる。しかし、敷地外ではカメラどころか今を生きるのに必死なインド人ばかりだ。ものすごい貧富の差を感じた。タージマハールに近づくにつれて、その大きさに驚いた。しかもすばらしい建築様式だ。僕らはそのスケールに圧倒された。建物が全部、大理石でできていた。「す、すごいっ!」嬉しすぎて色々な角度からタージマハールをカメラに収めた。
d0066442_19485662.jpg

d0066442_19461366.jpg

 気がつけば時間は正午になっていた。十分堪能したし、お腹も減ってきたので敷地の外へ出て、近くのレストランで初めて本場のチキンカレーを食べた。「おいしいっ!!」日本のそれとは少し味が違うがそれでもとても満足した。ここで手紙を書いた。家族や友人・知人はさぞ心配しているんだろうなぁ。大丈夫!僕は元気で生きています!
 夕方には「ニューデリー」行きの列車に乗らなければならない。多少時間に余裕はあったが、僕らは早めにオートリクシャーで「アーグラー駅」へと向かった。
d0066442_19471845.jpg

 早めに駅に着いたので僕らは駅の階段でボケーっと座っていた。すると若いインド人がこちらへ歩いてきた。そして話しかけてきた。
「やぁ、昨日会ったね。俺はキミらの顔を覚えているよ。」
 僕らは互いにそのインド人の顔を見るものの全く思い出せない。
「ごめん、覚えてない。」と友人が言った。
すると、インド人は「まぁ、いいや」みたいなことを言って、それをキッカケに色々と話しかけてきた。話しているうちに彼がオートリクシャーの運転手であることがわかり、しかも今日は休みだということがわかった。(暇をもてあそんでたんか。。)
 そのインド人は日本の芸能人「宍戸開」に結構似ていた。友人がインド人にこう話した。
「キミの日本人名はシシドカイだ。」そして彼がたまたま持っていたカードの裏にローマ字でシシドカイと書いた。
「明日から日本人を見つけたらこのカードを見せなさい。そしたらあなたはリッチマンになれるよ。」
 そのインド人はマジかよ!?という顔をしてすごく嬉しがっていた。その光景が結構面白かった。そんなこんなでくだらない話をしているうちに16:00PMがすぎていた。僕らは彼と別れてホームへ入った。ホームのベンチで列車を待っていたら僕らの体中にハエがたかってきた。そういえば昨日は列車の中だったからシャワーを浴びてなかった。でも僕らはハエを手で振り払おうとはしなかった。顔にハエが止まろうが手に止まろうが気にならなくなっていた。僕らはたった3日でインドに溶け込んでいた。
 16;45PM前にようやく列車がホームへ入ってきたので乗り込んだ。さぁ、アーグラーともこれでお別れだ!これから約3時間かけてインドの首都「ニューデリー」へ向かうぞ!期待と不安を抱えながら窓から見える風景を眺めていた。。
d0066442_2035898.gif

[PR]
by heartfield | 2005-12-26 19:54 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.3.6  旅10日目

 今日は、6:00AMに起床した。夜中も窓からの隙間風や蚊に刺されたりで何度も目が覚めた。とりあえずトイレに行って、また戻って横になった。約13時間も列車に乗ってるとさすがに疲れる。さらに、インドの列車も時間にとてもルーズなので平気で何時間も遅れたりする。予定ではもう「アーグラー」についていい時間なんだけど・・。
 結局、7:00AMすぎにアーグラー駅に到着した。到着するや否や僕らは鉄道予約センターへ行って、今日の16:45PM発デリー行きのチケットを予約した。それから駅構内をうろうろしてたら一人のオッチャンが僕に声を掛けてきた。
「お前の靴、汚いなぁ。俺が磨いてやろうか?」
 そのオッチャンは靴磨き屋だった。
「いいです、いいです。」
「よく見てみろよ!汚いぞ。キレイなほうがいいぞ。」
「いや、いいって!汚れはそんなに気にならないから」
「いや、よく見ろって!ほんときたないぞ!」
 オッチャンが磨かせてくれと執拗に言ってくる。オッチャンも笑いながら言ってくるからこっちも笑いながら対応する。自然に何人かのインド人が僕らの周りに集まってきて一緒に笑っている。この光景が結構面白かった。その後も言い合って、結局オッチャンが折れた。
(ごめんなぁ、オッチャン。余計な金は使いたくないからねぇ。)
d0066442_19553966.jpg

 そして僕らは、サイクルリクシャーで「アーグラー城」へ向かった。朝だったため観光客も少なく、ゆったりとアーグラー城を堪能できた。面白い造りで軽く感動した。野生のサルやリスがいて、僕はリスに手を差し伸べた。すると手のひらに乗ってきた。結構かわいかった。
d0066442_19561640.jpg

 アーグラー城を後にした僕らは、いよいよあの有名な「タージマハール」へと向かった。サイクルリクシャーの運転手に途中名前を聞かれた。
「あんたの名前は?」
「あぁ、TAKUです」
「タクール?」
「いや、TAKU」
「おぉ、タクール!何てすばらしい名前だ!」
(え!?い、いやTAKUだって・・。)
 どうやら、インドではタクールというのは神様の一人らしい。つまり神様と同じ名前だからそのオッチャン、急に僕に対する眼差しが輝きはじめた。
 もう僕はこのオッチャンに対してはタクールで通した。それからはオッチャンはタクールを連呼していた。もうええやろ!

 ようやくタージマハールへ到着した。さすがは観光地!観光客が多い多い。中に入るのにはもちろんお金がいるのだが窓口でチケットを買おうと思ったら、向こうからこう言われた。
「あなた達はムスリムですか?」
 僕らは何のことかわからなかったが「はい、ムスリムです」と答えてしまった。すると、お金を払ってないのにチケットを差し出してきた。どうやら今日はムスリムの日らしい。後からわかったことだが、ムスリムとはイスラム教徒のことらしい。タージマハール見学料がかなり高かったので無料で入れた僕らは超ラッキーだった。
d0066442_1957811.jpg
 
[PR]
by heartfield | 2005-12-19 20:07 | バックパッカーの旅日記(1)
 急いでその場を逃れ、少年と一緒にガンジス河沿いを歩いた。途中、サイババがいるから行ってみないかと道行く人々に何人かから声をかけられた。最初はウソくさかったので「No thank you!」の繰り返しだったが、あまりにも似たようなことを言われるので今度声を掛けられたらついて行ってみようと決めた。で、それはすぐにやって来た。半信半疑で彼について行く。路地裏をぐるぐると歩かされ、ようやく到着したのか、彼は「ここだ」と狭い入り口を指さした。扉の前には何足かの靴が置いてあった。建物の中からはお経を唱えてる声が聞こえてくる。
「い、いよいよサイババか!?マジで会えるんかいな!?」
 僕らは彼について建物の中に入った・・・がっ!・・
「ぜ、全然サイババじゃねぇ!誰やねんこのオッサン!」
 お経を唱えていたのはサイババじゃなく普通のオッサンだった。しかもそのオッサン、お布施を要求してくるではないか!?知らん、知らん。何のこっちゃ!僕らはまたまた逃げるように建物から出て行った。少年とはいつ別れたのか、今となっては記憶が曖昧になってわからない。
d0066442_21481918.jpg

 それから僕らは有名な「久美子ハウス」を見て、その近くのレストランでオレンジジュースと親子丼を食べた。味はそこそこだった。そして、近くのお店でチェーンとミネラルウォーターとビスケットを買って、サイクルリクシャーで荷物を取りに「ゴータムホテル」へ戻った・・が、何と!ありえない光景がっ・・!

 なんと、昨日のオートリクシャーのオヤジが14:30PM頃なのにホテルの前で待っていたのだ!一瞬、目を疑った。昨日の約束ではオヤジには12:00PMへ当ホテルへ来てもらうように頼んでおいた。僕たちの目論見ではオヤジが12:00に来て僕らがトンズラしてることに気づいて泣き寝入りということだった。が、あれから2時間30分も経っているのにまだいたのである!
これは参った。参ったどころではない。オヤジだけじゃなくあと2人も一緒にいるではないか!?
友人は諦めたのか3人と話し合うことになった。特にあのオヤジは完全に怒っていた。友人に怒鳴り続けている。僕は横で呆然とこの光景を眺めていた。やがて20分ぐらい経過しただろうか、友人とオヤジが2人でなにやら話しながら遠くのほうへ歩いていった。僕は彼らが自分から離れて行っても目を離さなかった。と、その時、友人がポケットからお金らしきものをオヤジに差し出したのが何となく見えた。
 数分後、友人が一人でこちらへ戻ってきた。
「何とか丸くおさまったわ!」
彼の顔からは安堵の表情がこぼれた。と同時にさっきの口論で精神的に参ってしまったようだ。
僕は友人がお金で解決したのか?と問いただそうとしたが止めることにした。
 その後、ホテルのロビー横で40分くらいしゃべってサイクルリクシャーで「バラナシ駅」へ向かった。
d0066442_2044761.jpg
 
 そして17:00PMすぎに寝台列車に乗り込んだ。列車内は当然のことながらインド人でごった返している。自分らの席を探すだけで苦労する。何とか席を発見して21:00PMまで友人としゃべった。21:00PMすぎになるとみんな寝だした。席は向かい合わせで座る格好となっていた。僕は3段中、一番下の寝台だった。どの窓も檻のように鉄格子が入っていて何か監禁されてる雰囲気だった。しかも僕の窓は少し開いていたので蚊が入ってきて何箇所も刺された。夜は寒いわ痒いわで熟睡できなかった。結局5時間ぐらいしか寝れなかった・・・。ちなみに友人は一番上の寝台だった。
 さぁ、いよいよバラナシとはお別れだ!次は「アーグラー」だ!しかしアーグラーまでこの寝台列車で約13時間かかるみたいだ!きつすぎるっ!
d0066442_20444732.jpg

d0066442_2045136.jpg

※ちなみに一番下は俺じゃないですから。
[PR]
by heartfield | 2005-12-16 20:47 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.3.5 旅9日目

 今日は6:00AMすぎに起床した。7:00AMすぎに早速にも「バラナシ」駅へ歩いて向かった。ホテルから駅まで15分くらいかかったが、小学生達がニコニコと登校しているシーンにほのぼのした。駅の窓口で拙い英語力でなんとか「アーグラー」行きのキップを購入できた。アーグラーと言えば、あの有名なタージマハールがあるところだ。インドの建物といえばこれを思い浮かべる人がほとんどだと思う。時間は17:25PM発で何と寝台列車だ!乗ったことないから今からわくわくである。
 僕らは一旦ホテルへ戻った。そして早々にもチェック・アウトした。荷物だけはとりあえずロビーで預かってもらうことにした。(荷物を持ちながらの観光はしんどいという理由で預けたが、これがのちに悲劇を生むことになる)僕らはサイクルリクシャーという日本でいう人力車に交渉してガンジス河付近まで乗せてもらった。
d0066442_2032524.jpg

 ガンジス河手前で降ろしてもらってからは街をウロウロしていた。ガンジス河へ出るまでにはごちゃごちゃした住宅街というか商店街を通っていかなければならない。その途中で一人の少年が声をかけてきた。
「どこから来たの?」
「日本だよ」
「日本のどこ?」
「大阪っていうところだよ」
すると少年はこう答えた。
「モウカリマッカ?ボチボチデンナ」
これには2人とも参った。こんな場所でまさか大阪弁をしゃべるインド人に会うとは思わなかった。それも子供だ。少年としばらく話をしているうちにガンジス河へ案内してくれるとのことで、へこへこと僕らは彼のうしろについていった。このへんは狭い路地裏がたくさんあって迷路みたいに入り組んでいる感じだ。途中僕らの前を野良牛がゆっくりと歩いていた。あまりにもゆっくりと歩いているので少年は牛のおしりを蹴っていた。この光景は面白かった。なぜならインドでは牛は神聖な生き物として扱われているからだ。だからインド人は牛肉も食べないし、ましてや牛を殺したり、粗末には扱えないのである。それなのに少年は平気で牛を蹴っていたもんだから結構面白かった。
d0066442_19533456.jpg

 ようやく路地裏を抜け出た。そこにはあの有名なガンジス河があった。たくさんの人が沐浴していた。それにしても河の幅が広いこと。水は汚そうだった。いろんなものが浮いていた。途中、シートみたいな布にくるんであったが溺死した死体が普通に寝かされていた。こ、怖っ!
d0066442_1954618.jpg

 僕らはガンジス河へ来たら絶対に「マニカルニカガート」(火葬場)を見ようと決めていた。よくインドの本とかにもガートについての体験が載っているからだ。地図を見ながらようやく発見した。キャンプファイヤーのような感じで、交互に組まれている木が燃えていた。その中で死体も一緒に焼かれていた。死体を焼く人は2人くらいいた。カメラ撮影は絶対禁止で、もし撮影したのがバレたらカメラを壊されるかフィルムを抜き取られる危険があるらしい。怖いのでじっとその光景を目に焼き付けた。焼かれてる場所の横には次の死体が布をかぶせて待っていた。火の勢いが強かったのかあまり中はよく見えなかったが、この光景を見ながら人生について少し考えてしまった。ここガンジス河で死んだら輪廻転生、つまりまた何かに生まれ変わるというのだ。そう思うと今、とても神聖な場所に来ているんだなぁ・・。
 しばらく眺めていたら管理者の一人がこちらへ歩み寄ってきた。
(うっ、何か言われそうやな。何か嫌な予感がする・・。)
 彼は僕らにここのガートについて語りだしてきた。適当に相槌をうっていたら、途中から話がそれてきた。つまりは、毎日たくさんの死体を処理しているが、そのためには木がたくさん必要なんだということらしい。でもその木は手前で用意できる程の半端な量じゃないため、みなさんからチャリティーとしてお金をいただいているとのこと。つまり、金を払えということだ。あなたの気持ちはわかるが僕らのような貧乏旅行者には払えないよ。
「すいません。今お金持ってないんです。ホテルに置いてきちゃって・・。」とウソをついた。そしてすぐにその場を逃げた。
d0066442_19552235.jpg

[PR]
by heartfield | 2005-12-13 20:04 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.03.04 旅8日目

 今日は6:00AMに起床。昨日から今日にかけては熟睡できなかった。というのも、今回は初のドミトリーだったので、精神的に落ち着かなかったのだろう。イマイチ疲れがとれていない感じがする。
 僕らは、7:40AMすぎにチェックアウトし、ネパールイミグレーションへ向かった。途中、道路脇で小さなガラスケースに何個かのパンが入っているのを発見した。どうやら、路上でパンを売ってるようだった。しかし、ガラスの中をよく見ると、パンに大粒のゴマがたくさんついていた。それが何と宙を飛び出した!
「ハ、ハエや!」
 小さなガラスケースの中をハエが何匹も飛び交っていた。僕らはこれらのハエのことを「フライング・ゴマ」と勝手に名づけて笑った。
 ネパールイミグレーションで、出国手続をし、いよいよ国境を越える瞬間がやってきた!一歩一歩、慎重に前へ進んだ。そしてネパール国境ゲートを越えた。
「よっしゃ!インド入国~!」
 僕らはほぼハミングしていた。そして早速、入国手続きをしなければならないので近くにあるインドイミグレーションで入国手続きを済ませた。バス乗り場もすぐにわかった。チケットを買って、多少時間があったので近くのお店で朝食を食べた。朝食は、目玉焼きをつぶしたような玉子を食パンにのせたものとチャイを注文した。味はそれなりだった。もう、インドの食には期待しないことにした。
d0066442_951879.jpg

 8:30AMに「バラナシ」行きの直行バスは出発した。またもや、バス内はネパールやインド人だらけだった。当たり前か・・道は相変わらずデコボコ道が続いた。今日の方がどうやらデコボコ度が高い。舗装されていない道路に穴がボコボコあいている。そこにタイヤが入ると低い天井に頭を打ちそうになるくらいバウンドする。一瞬、体が宙に浮くのである。家から持ってきた小説を読もうと思ったけど、これじゃ全く読めない。
d0066442_952083.jpg

 車窓から見える風景ははじめの方は田畑が多かったが、バラナシ付近になってくるとゴチャゴチャした街になってきた。
(こりゃ、ネパールとあんまり変わらんな。)
 辺りはすっかり夜になっている。車の量も増えてきた。バスとバスがすれ違う時なんか、ほんとスレスレなのでヒヤヒヤものだった。ようやく、「バラナシ駅」付近でバスが止まってみんなが降りだしたので、ここが終着地だとわかった。時間は20:30PM前だった。実に12時間乗車していた。そりゃ、しんどいわ。バスを降りようと思ったら外にはものすごい人が・・。彼らは僕らに声を掛けてきた。
(うわっ、早速客引きかよ。もう、勘弁してよ~。)
 結局、そのうちの1人と交渉して、オートリクシャーで安宿を周ってくれることになった。まず、最初の宿は少し高かったのでパスした。次に向かったのは結構安い宿だった。オートリクシャーの運転手と僕ら3人で、その安宿のカウンターへ行って部屋が空いてるかどうか尋ねた。すると、今日は満室で無理だった。すると、運転手が受付の人と交渉しだした。僕らは何を話してるのかわからなかったので、その間じっと待っていた。すると、運転手が僕らにこう言った。
「今日はこの宿はすでに満室で泊まれないけど、明日からなら空いてるって。明日から何日かここで泊まってくれると約束してくれるなら、今日は近くで税金のかからない安宿を紹介してやるってオーナーが言ってるぞ。」と。
 う~ん、困った。マジ困った。なぜなら、僕らは明日の晩にはバラナシを出発してタージマハールで有名な「アーグラー」へ向かう予定にしていたからだ。つまり、紹介してくれたところで一泊しかできないのである。近くで税金のかからない安宿はすごく魅力的だ。教えてほしい。けど、ここには泊まれない。どうしよう、困った。
 友人はこの件についてある策を考えついていた。友人は意外にも運転手の問いかけに「OK」の返事をした。すると受付の人がこう言った。
「じゃあ、前金をいくらかお願いします。それとサインもしてください。」
(前金~!?おいおい、ここで泊まるつもりないのに前金なんか払えないぞ。)
 友人はこう切りかえした。
「前金払いたいけど、さっきネパールから来たばっかりでほとんど両替してないから払えない。でも明日必ずここへ支払いにくるから。」
 ホテル側はすんなりOKしてくれて、近くで税金のかからない安宿を紹介してくれた。名は「ゴータムホテル」といった。早速、チェク・インして部屋へ入ろうと思ったら、さっきの運転手がこう言った。
「明日、さっきのホテルの所へ泊まりに行けよ。俺がつれていくから。それと、ガンジス河行くのか?俺がいろいろ案内してやるよ。何時にここへ迎えにこようか?」
友人はすかさず、こう答えた。
「えっと、明日は12:00PMに来てくれ。両替所とガンガー(ガンジス河)へ連れていってくれ。」
 運転手は「OK」と言ってオートリクシャーに乗って去った。僕らは部屋へ行って友人に何を考えてるのか聞いた。すると、とんでもないことを友人は考えていたのである。つまりはこうだ。

 明日の朝にチェック・アウトし、バラナシ駅で「アーグラー」行きの寝台列車を予約して自分らでガンジス河まで行って夕方、バラナシ駅から寝台列車に乗り込むということを目論んでいた。当ホテルを紹介してくれたホテルへはもちろん泊まらないし、そのホテルとつるんでいるさっきの運転手の約束も破るのである。明日、運転手に捕まれば最初のホテルへ連れていかれて前金を支払わされる。だから、明日あの運転手に会ったらマズい。当ホテルのチェック・アウトは12:00PMだった。あの運転手が12:00PMに迎えにきた時にはすでに僕らはここにはいないのである。友人のとっさの機転に驚いたが、僕は万事うまくいくのか少し不安だった。

 

 
 
[PR]
by heartfield | 2005-07-31 09:55 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.03.03 旅7日目

 今日は、5:30AMに起床。トイレに行って身支度をして、6:10AMにホテルをチェックアウトした。5泊もしたので、もうこれでお別れかと思うと少し寂しくなった。僕らは近くのマーケットまで歩いて行き、オートリクシャー(3人乗りバイク)に声を掛けて乗った。行き先は、「ニューバスパーク」だ。ここで簡単にこれからのルートを示しておく。
 まず、カトマンズの「ニューバスパーク」から直行バスに乗ってインドとネパールの国境手前の「スノウリ」という所まで行く。そして「スノウリ」で一泊して翌日、国境を歩いて渡り、インド側からガンジス河で有名な「バラナシ」という所まで直行バスで行くのである。
d0066442_19145713.gif

 僕らは「ニューバスパーク」に到着し、急いでバスチケットを窓口で購入した。早朝なのにバスと人が多かった。どれに乗ったらいいのか少し迷ったが、近くにいたネパール人が親切に教えてくれた。早速乗ってみたが、天井が結構低かった。しかも椅子の座り心地があまりよくない。
 バスは6:30AMに出発した。車内はさすがにネパール人だけだった。2人とも荷物が多いので置き場に困った。日本なら荷物入れ専用のスペースがあるのだが、ここは違った。全部車内持込だった。僕らは仕方なく通路に置いた。しかし、途中、何回か停留所に止まるので、その度に人の出入りが激しかった。みんながみんな荷物を通路に置いてるので降りる人も乗ってくる人も何回も荷物をまたいでいたのが面白かった。
 道は舗装されていないためデコボコ道が続いた。険しい山道を越えるため、ガードレールもない狭い坂道を結構なスピードで駆け抜けていく。途中何回もガケから落ちると思った。少し大袈裟かもしれないが、何回か死を覚悟した。
 途中、トイレ休憩が2回ほどあった。2回目の休憩場所はご飯も食べれる所だった。といっても軽食だが。ちょうどお昼どきだったため、友人が「ナン」を注文した。衛生は全く気にしていないようで、ハエがいっぱい飛び交っていた。僕はその光景を見てしまったため、ここで食べるのをやめた。
「おい、お前も何か食べといたほうがええで。」
「いや、こんなにハエがおったら食欲なくすわ。」
「そんなん気にしてたらアカンで。そんなんやったらインドでやっていかれへんで。」
「いやいや、インドにもちゃんとしたレストランはあるでしょう?」
「ないで。」
「あるわ!」
「いや、ない!」
 僕と友人で少し口論になってしまった。友人はカトマンズで風邪による体調不良から回復したため、抵抗力がついたと思っているのか強気になっていた。僕は事前に「地球の歩き方 インド」を読んでそれなりに研究していたため、油断はしなかった。友人が食べたナンにもハエは止まったりしていた。僕はここでは断固として食事しなかった。
d0066442_19155523.jpg


 結局、スノウリには14:30PMに到着した。8時間もかかった。とりあえず、昼食を食べてなかったので「スノウリG.H」という宿でチェック・インし、そのレストランでチーズナンと名前は忘れたが、ジャガイモ、グリーンピースのカレーみたいな食べ物を食べた。味は旨いとは言えなかった。まだここはネパールだが、ここで初めてインド料理を食べた。ご飯を食べてから部屋へ戻った。今回は初めて「ドミトリー」(大人数部屋)で泊まることにした。部屋には僕ら以外誰もいなかった。ベッドは6つあった。僕らは洗濯をして、両替所でネパールルピーからインドルピーに替えた。もうネパールルピーはほぼ用済みだ。
d0066442_19233968.jpg

 部屋でくつろいで、晩にまた同じレストランでターリーという食べ物を食べた。ターリーはネパールのダルバートみたいな食べ物で、味は激マズだった。夜になると多くのバックパッカーがやってきた。彼らはインドからネパールへ入国してきたのである。このドミトリー部屋もすぐに満杯になった。オーナーの気遣いからか、全員、日本人だった。一人はインドで食あたりになって今現在も体調が万全ではなかった。みんな日焼けして髭も伸びていた。インドがすさまじい所だと思った。彼らと色々な情報交換をし合った。
 明日はほんとにインドなのかと思うと本当にドキドキした。怖えぇ!僕は疲れたので耳栓をして先に爆睡した。
d0066442_19161833.jpg

国境手前(ネパール側)にて(左が私)
[PR]
by heartfield | 2005-07-27 19:28 | バックパッカーの旅日記(1)