税理士のつぶやき


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序章

2005年 1月

 韓国・・韓国といえば焼肉!キムチ!チゲ!ビビンバ!冬ソナ!・・あとはあまり思い浮かばない・・今回は海外個人旅行としては3回目だ。もう旅慣れてしまったのか、飛行機のチケットだけ予約してあとは特にこれといった準備はしていない。毎度のことながら宿の予約も一切していない。カバンだっていつもの大きなバックパックではなく、小さなリュックサックだ。その中に下着と洗面用具と折りたたみ傘とガイドブックしか入れてない。今回は大学時代の友人と韓国に美味いものでも食べに行こうという軽いノリで韓国行きが決定した。ただ、お互いの仕事の都合上、今回はたったの2泊3日しか旅が出来ない。それでも本場の焼肉とキムチとチゲだけは食べてこようと決めたのであった・・しかし、今回の旅は予想をはるかに超えた寒さが僕らを襲ったのであった・・・。
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# by heartfield | 2005-12-28 20:00 | 韓国マイナス16度の旅

今年も残りわずか・・

 今年も残りわずかですね。趣味のひとつが旅行ですが、今年はほんとに色々な場所へ行きました。1月に韓国、3月に岡山、5月に岐阜の白川郷、8月に富士山、9月は広島、10月は東京、それ以外でも大阪へ行ったり。自分的には十分満足した年になったかと思います。来年はまた海外に個人で行きたいなぁとは思ってます。今書いている旅行記を書き終えればイギリス編、韓国編、富士山登頂記なんかも書いていきたいなぁと思ってます。来年もよろしくお願いいたします。
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# by heartfield | 2005-12-26 20:29 | MY日記
 ここタージマハールはとても神聖な場所である。飲食は絶対禁止である。友人はそれを知らずにマスカットを持って入ろうとしたら入り口で取り上げられた。中に入ると金持ちのインド人がたくさんいた。もちろん世界各国から訪れている人が圧倒的に多かったが、僕らはまざまざとインドのカースト制度の現実をつきつけられた。敷地内ではカメラで写真を撮りまくってるインド人がいる。しかし、敷地外ではカメラどころか今を生きるのに必死なインド人ばかりだ。ものすごい貧富の差を感じた。タージマハールに近づくにつれて、その大きさに驚いた。しかもすばらしい建築様式だ。僕らはそのスケールに圧倒された。建物が全部、大理石でできていた。「す、すごいっ!」嬉しすぎて色々な角度からタージマハールをカメラに収めた。
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 気がつけば時間は正午になっていた。十分堪能したし、お腹も減ってきたので敷地の外へ出て、近くのレストランで初めて本場のチキンカレーを食べた。「おいしいっ!!」日本のそれとは少し味が違うがそれでもとても満足した。ここで手紙を書いた。家族や友人・知人はさぞ心配しているんだろうなぁ。大丈夫!僕は元気で生きています!
 夕方には「ニューデリー」行きの列車に乗らなければならない。多少時間に余裕はあったが、僕らは早めにオートリクシャーで「アーグラー駅」へと向かった。
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 早めに駅に着いたので僕らは駅の階段でボケーっと座っていた。すると若いインド人がこちらへ歩いてきた。そして話しかけてきた。
「やぁ、昨日会ったね。俺はキミらの顔を覚えているよ。」
 僕らは互いにそのインド人の顔を見るものの全く思い出せない。
「ごめん、覚えてない。」と友人が言った。
すると、インド人は「まぁ、いいや」みたいなことを言って、それをキッカケに色々と話しかけてきた。話しているうちに彼がオートリクシャーの運転手であることがわかり、しかも今日は休みだということがわかった。(暇をもてあそんでたんか。。)
 そのインド人は日本の芸能人「宍戸開」に結構似ていた。友人がインド人にこう話した。
「キミの日本人名はシシドカイだ。」そして彼がたまたま持っていたカードの裏にローマ字でシシドカイと書いた。
「明日から日本人を見つけたらこのカードを見せなさい。そしたらあなたはリッチマンになれるよ。」
 そのインド人はマジかよ!?という顔をしてすごく嬉しがっていた。その光景が結構面白かった。そんなこんなでくだらない話をしているうちに16:00PMがすぎていた。僕らは彼と別れてホームへ入った。ホームのベンチで列車を待っていたら僕らの体中にハエがたかってきた。そういえば昨日は列車の中だったからシャワーを浴びてなかった。でも僕らはハエを手で振り払おうとはしなかった。顔にハエが止まろうが手に止まろうが気にならなくなっていた。僕らはたった3日でインドに溶け込んでいた。
 16;45PM前にようやく列車がホームへ入ってきたので乗り込んだ。さぁ、アーグラーともこれでお別れだ!これから約3時間かけてインドの首都「ニューデリー」へ向かうぞ!期待と不安を抱えながら窓から見える風景を眺めていた。。
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# by heartfield | 2005-12-26 19:54 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.3.6  旅10日目

 今日は、6:00AMに起床した。夜中も窓からの隙間風や蚊に刺されたりで何度も目が覚めた。とりあえずトイレに行って、また戻って横になった。約13時間も列車に乗ってるとさすがに疲れる。さらに、インドの列車も時間にとてもルーズなので平気で何時間も遅れたりする。予定ではもう「アーグラー」についていい時間なんだけど・・。
 結局、7:00AMすぎにアーグラー駅に到着した。到着するや否や僕らは鉄道予約センターへ行って、今日の16:45PM発デリー行きのチケットを予約した。それから駅構内をうろうろしてたら一人のオッチャンが僕に声を掛けてきた。
「お前の靴、汚いなぁ。俺が磨いてやろうか?」
 そのオッチャンは靴磨き屋だった。
「いいです、いいです。」
「よく見てみろよ!汚いぞ。キレイなほうがいいぞ。」
「いや、いいって!汚れはそんなに気にならないから」
「いや、よく見ろって!ほんときたないぞ!」
 オッチャンが磨かせてくれと執拗に言ってくる。オッチャンも笑いながら言ってくるからこっちも笑いながら対応する。自然に何人かのインド人が僕らの周りに集まってきて一緒に笑っている。この光景が結構面白かった。その後も言い合って、結局オッチャンが折れた。
(ごめんなぁ、オッチャン。余計な金は使いたくないからねぇ。)
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 そして僕らは、サイクルリクシャーで「アーグラー城」へ向かった。朝だったため観光客も少なく、ゆったりとアーグラー城を堪能できた。面白い造りで軽く感動した。野生のサルやリスがいて、僕はリスに手を差し伸べた。すると手のひらに乗ってきた。結構かわいかった。
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 アーグラー城を後にした僕らは、いよいよあの有名な「タージマハール」へと向かった。サイクルリクシャーの運転手に途中名前を聞かれた。
「あんたの名前は?」
「あぁ、TAKUです」
「タクール?」
「いや、TAKU」
「おぉ、タクール!何てすばらしい名前だ!」
(え!?い、いやTAKUだって・・。)
 どうやら、インドではタクールというのは神様の一人らしい。つまり神様と同じ名前だからそのオッチャン、急に僕に対する眼差しが輝きはじめた。
 もう僕はこのオッチャンに対してはタクールで通した。それからはオッチャンはタクールを連呼していた。もうええやろ!

 ようやくタージマハールへ到着した。さすがは観光地!観光客が多い多い。中に入るのにはもちろんお金がいるのだが窓口でチケットを買おうと思ったら、向こうからこう言われた。
「あなた達はムスリムですか?」
 僕らは何のことかわからなかったが「はい、ムスリムです」と答えてしまった。すると、お金を払ってないのにチケットを差し出してきた。どうやら今日はムスリムの日らしい。後からわかったことだが、ムスリムとはイスラム教徒のことらしい。タージマハール見学料がかなり高かったので無料で入れた僕らは超ラッキーだった。
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# by heartfield | 2005-12-19 20:07 | バックパッカーの旅日記(1)
 急いでその場を逃れ、少年と一緒にガンジス河沿いを歩いた。途中、サイババがいるから行ってみないかと道行く人々に何人かから声をかけられた。最初はウソくさかったので「No thank you!」の繰り返しだったが、あまりにも似たようなことを言われるので今度声を掛けられたらついて行ってみようと決めた。で、それはすぐにやって来た。半信半疑で彼について行く。路地裏をぐるぐると歩かされ、ようやく到着したのか、彼は「ここだ」と狭い入り口を指さした。扉の前には何足かの靴が置いてあった。建物の中からはお経を唱えてる声が聞こえてくる。
「い、いよいよサイババか!?マジで会えるんかいな!?」
 僕らは彼について建物の中に入った・・・がっ!・・
「ぜ、全然サイババじゃねぇ!誰やねんこのオッサン!」
 お経を唱えていたのはサイババじゃなく普通のオッサンだった。しかもそのオッサン、お布施を要求してくるではないか!?知らん、知らん。何のこっちゃ!僕らはまたまた逃げるように建物から出て行った。少年とはいつ別れたのか、今となっては記憶が曖昧になってわからない。
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 それから僕らは有名な「久美子ハウス」を見て、その近くのレストランでオレンジジュースと親子丼を食べた。味はそこそこだった。そして、近くのお店でチェーンとミネラルウォーターとビスケットを買って、サイクルリクシャーで荷物を取りに「ゴータムホテル」へ戻った・・が、何と!ありえない光景がっ・・!

 なんと、昨日のオートリクシャーのオヤジが14:30PM頃なのにホテルの前で待っていたのだ!一瞬、目を疑った。昨日の約束ではオヤジには12:00PMへ当ホテルへ来てもらうように頼んでおいた。僕たちの目論見ではオヤジが12:00に来て僕らがトンズラしてることに気づいて泣き寝入りということだった。が、あれから2時間30分も経っているのにまだいたのである!
これは参った。参ったどころではない。オヤジだけじゃなくあと2人も一緒にいるではないか!?
友人は諦めたのか3人と話し合うことになった。特にあのオヤジは完全に怒っていた。友人に怒鳴り続けている。僕は横で呆然とこの光景を眺めていた。やがて20分ぐらい経過しただろうか、友人とオヤジが2人でなにやら話しながら遠くのほうへ歩いていった。僕は彼らが自分から離れて行っても目を離さなかった。と、その時、友人がポケットからお金らしきものをオヤジに差し出したのが何となく見えた。
 数分後、友人が一人でこちらへ戻ってきた。
「何とか丸くおさまったわ!」
彼の顔からは安堵の表情がこぼれた。と同時にさっきの口論で精神的に参ってしまったようだ。
僕は友人がお金で解決したのか?と問いただそうとしたが止めることにした。
 その後、ホテルのロビー横で40分くらいしゃべってサイクルリクシャーで「バラナシ駅」へ向かった。
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 そして17:00PMすぎに寝台列車に乗り込んだ。列車内は当然のことながらインド人でごった返している。自分らの席を探すだけで苦労する。何とか席を発見して21:00PMまで友人としゃべった。21:00PMすぎになるとみんな寝だした。席は向かい合わせで座る格好となっていた。僕は3段中、一番下の寝台だった。どの窓も檻のように鉄格子が入っていて何か監禁されてる雰囲気だった。しかも僕の窓は少し開いていたので蚊が入ってきて何箇所も刺された。夜は寒いわ痒いわで熟睡できなかった。結局5時間ぐらいしか寝れなかった・・・。ちなみに友人は一番上の寝台だった。
 さぁ、いよいよバラナシとはお別れだ!次は「アーグラー」だ!しかしアーグラーまでこの寝台列車で約13時間かかるみたいだ!きつすぎるっ!
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※ちなみに一番下は俺じゃないですから。
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# by heartfield | 2005-12-16 20:47 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.3.5 旅9日目

 今日は6:00AMすぎに起床した。7:00AMすぎに早速にも「バラナシ」駅へ歩いて向かった。ホテルから駅まで15分くらいかかったが、小学生達がニコニコと登校しているシーンにほのぼのした。駅の窓口で拙い英語力でなんとか「アーグラー」行きのキップを購入できた。アーグラーと言えば、あの有名なタージマハールがあるところだ。インドの建物といえばこれを思い浮かべる人がほとんどだと思う。時間は17:25PM発で何と寝台列車だ!乗ったことないから今からわくわくである。
 僕らは一旦ホテルへ戻った。そして早々にもチェック・アウトした。荷物だけはとりあえずロビーで預かってもらうことにした。(荷物を持ちながらの観光はしんどいという理由で預けたが、これがのちに悲劇を生むことになる)僕らはサイクルリクシャーという日本でいう人力車に交渉してガンジス河付近まで乗せてもらった。
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 ガンジス河手前で降ろしてもらってからは街をウロウロしていた。ガンジス河へ出るまでにはごちゃごちゃした住宅街というか商店街を通っていかなければならない。その途中で一人の少年が声をかけてきた。
「どこから来たの?」
「日本だよ」
「日本のどこ?」
「大阪っていうところだよ」
すると少年はこう答えた。
「モウカリマッカ?ボチボチデンナ」
これには2人とも参った。こんな場所でまさか大阪弁をしゃべるインド人に会うとは思わなかった。それも子供だ。少年としばらく話をしているうちにガンジス河へ案内してくれるとのことで、へこへこと僕らは彼のうしろについていった。このへんは狭い路地裏がたくさんあって迷路みたいに入り組んでいる感じだ。途中僕らの前を野良牛がゆっくりと歩いていた。あまりにもゆっくりと歩いているので少年は牛のおしりを蹴っていた。この光景は面白かった。なぜならインドでは牛は神聖な生き物として扱われているからだ。だからインド人は牛肉も食べないし、ましてや牛を殺したり、粗末には扱えないのである。それなのに少年は平気で牛を蹴っていたもんだから結構面白かった。
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 ようやく路地裏を抜け出た。そこにはあの有名なガンジス河があった。たくさんの人が沐浴していた。それにしても河の幅が広いこと。水は汚そうだった。いろんなものが浮いていた。途中、シートみたいな布にくるんであったが溺死した死体が普通に寝かされていた。こ、怖っ!
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 僕らはガンジス河へ来たら絶対に「マニカルニカガート」(火葬場)を見ようと決めていた。よくインドの本とかにもガートについての体験が載っているからだ。地図を見ながらようやく発見した。キャンプファイヤーのような感じで、交互に組まれている木が燃えていた。その中で死体も一緒に焼かれていた。死体を焼く人は2人くらいいた。カメラ撮影は絶対禁止で、もし撮影したのがバレたらカメラを壊されるかフィルムを抜き取られる危険があるらしい。怖いのでじっとその光景を目に焼き付けた。焼かれてる場所の横には次の死体が布をかぶせて待っていた。火の勢いが強かったのかあまり中はよく見えなかったが、この光景を見ながら人生について少し考えてしまった。ここガンジス河で死んだら輪廻転生、つまりまた何かに生まれ変わるというのだ。そう思うと今、とても神聖な場所に来ているんだなぁ・・。
 しばらく眺めていたら管理者の一人がこちらへ歩み寄ってきた。
(うっ、何か言われそうやな。何か嫌な予感がする・・。)
 彼は僕らにここのガートについて語りだしてきた。適当に相槌をうっていたら、途中から話がそれてきた。つまりは、毎日たくさんの死体を処理しているが、そのためには木がたくさん必要なんだということらしい。でもその木は手前で用意できる程の半端な量じゃないため、みなさんからチャリティーとしてお金をいただいているとのこと。つまり、金を払えということだ。あなたの気持ちはわかるが僕らのような貧乏旅行者には払えないよ。
「すいません。今お金持ってないんです。ホテルに置いてきちゃって・・。」とウソをついた。そしてすぐにその場を逃げた。
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# by heartfield | 2005-12-13 20:04 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.03.04 旅8日目

 今日は6:00AMに起床。昨日から今日にかけては熟睡できなかった。というのも、今回は初のドミトリーだったので、精神的に落ち着かなかったのだろう。イマイチ疲れがとれていない感じがする。
 僕らは、7:40AMすぎにチェックアウトし、ネパールイミグレーションへ向かった。途中、道路脇で小さなガラスケースに何個かのパンが入っているのを発見した。どうやら、路上でパンを売ってるようだった。しかし、ガラスの中をよく見ると、パンに大粒のゴマがたくさんついていた。それが何と宙を飛び出した!
「ハ、ハエや!」
 小さなガラスケースの中をハエが何匹も飛び交っていた。僕らはこれらのハエのことを「フライング・ゴマ」と勝手に名づけて笑った。
 ネパールイミグレーションで、出国手続をし、いよいよ国境を越える瞬間がやってきた!一歩一歩、慎重に前へ進んだ。そしてネパール国境ゲートを越えた。
「よっしゃ!インド入国~!」
 僕らはほぼハミングしていた。そして早速、入国手続きをしなければならないので近くにあるインドイミグレーションで入国手続きを済ませた。バス乗り場もすぐにわかった。チケットを買って、多少時間があったので近くのお店で朝食を食べた。朝食は、目玉焼きをつぶしたような玉子を食パンにのせたものとチャイを注文した。味はそれなりだった。もう、インドの食には期待しないことにした。
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 8:30AMに「バラナシ」行きの直行バスは出発した。またもや、バス内はネパールやインド人だらけだった。当たり前か・・道は相変わらずデコボコ道が続いた。今日の方がどうやらデコボコ度が高い。舗装されていない道路に穴がボコボコあいている。そこにタイヤが入ると低い天井に頭を打ちそうになるくらいバウンドする。一瞬、体が宙に浮くのである。家から持ってきた小説を読もうと思ったけど、これじゃ全く読めない。
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 車窓から見える風景ははじめの方は田畑が多かったが、バラナシ付近になってくるとゴチャゴチャした街になってきた。
(こりゃ、ネパールとあんまり変わらんな。)
 辺りはすっかり夜になっている。車の量も増えてきた。バスとバスがすれ違う時なんか、ほんとスレスレなのでヒヤヒヤものだった。ようやく、「バラナシ駅」付近でバスが止まってみんなが降りだしたので、ここが終着地だとわかった。時間は20:30PM前だった。実に12時間乗車していた。そりゃ、しんどいわ。バスを降りようと思ったら外にはものすごい人が・・。彼らは僕らに声を掛けてきた。
(うわっ、早速客引きかよ。もう、勘弁してよ~。)
 結局、そのうちの1人と交渉して、オートリクシャーで安宿を周ってくれることになった。まず、最初の宿は少し高かったのでパスした。次に向かったのは結構安い宿だった。オートリクシャーの運転手と僕ら3人で、その安宿のカウンターへ行って部屋が空いてるかどうか尋ねた。すると、今日は満室で無理だった。すると、運転手が受付の人と交渉しだした。僕らは何を話してるのかわからなかったので、その間じっと待っていた。すると、運転手が僕らにこう言った。
「今日はこの宿はすでに満室で泊まれないけど、明日からなら空いてるって。明日から何日かここで泊まってくれると約束してくれるなら、今日は近くで税金のかからない安宿を紹介してやるってオーナーが言ってるぞ。」と。
 う~ん、困った。マジ困った。なぜなら、僕らは明日の晩にはバラナシを出発してタージマハールで有名な「アーグラー」へ向かう予定にしていたからだ。つまり、紹介してくれたところで一泊しかできないのである。近くで税金のかからない安宿はすごく魅力的だ。教えてほしい。けど、ここには泊まれない。どうしよう、困った。
 友人はこの件についてある策を考えついていた。友人は意外にも運転手の問いかけに「OK」の返事をした。すると受付の人がこう言った。
「じゃあ、前金をいくらかお願いします。それとサインもしてください。」
(前金~!?おいおい、ここで泊まるつもりないのに前金なんか払えないぞ。)
 友人はこう切りかえした。
「前金払いたいけど、さっきネパールから来たばっかりでほとんど両替してないから払えない。でも明日必ずここへ支払いにくるから。」
 ホテル側はすんなりOKしてくれて、近くで税金のかからない安宿を紹介してくれた。名は「ゴータムホテル」といった。早速、チェク・インして部屋へ入ろうと思ったら、さっきの運転手がこう言った。
「明日、さっきのホテルの所へ泊まりに行けよ。俺がつれていくから。それと、ガンジス河行くのか?俺がいろいろ案内してやるよ。何時にここへ迎えにこようか?」
友人はすかさず、こう答えた。
「えっと、明日は12:00PMに来てくれ。両替所とガンガー(ガンジス河)へ連れていってくれ。」
 運転手は「OK」と言ってオートリクシャーに乗って去った。僕らは部屋へ行って友人に何を考えてるのか聞いた。すると、とんでもないことを友人は考えていたのである。つまりはこうだ。

 明日の朝にチェック・アウトし、バラナシ駅で「アーグラー」行きの寝台列車を予約して自分らでガンジス河まで行って夕方、バラナシ駅から寝台列車に乗り込むということを目論んでいた。当ホテルを紹介してくれたホテルへはもちろん泊まらないし、そのホテルとつるんでいるさっきの運転手の約束も破るのである。明日、運転手に捕まれば最初のホテルへ連れていかれて前金を支払わされる。だから、明日あの運転手に会ったらマズい。当ホテルのチェック・アウトは12:00PMだった。あの運転手が12:00PMに迎えにきた時にはすでに僕らはここにはいないのである。友人のとっさの機転に驚いたが、僕は万事うまくいくのか少し不安だった。

 

 
 
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# by heartfield | 2005-07-31 09:55 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.03.03 旅7日目

 今日は、5:30AMに起床。トイレに行って身支度をして、6:10AMにホテルをチェックアウトした。5泊もしたので、もうこれでお別れかと思うと少し寂しくなった。僕らは近くのマーケットまで歩いて行き、オートリクシャー(3人乗りバイク)に声を掛けて乗った。行き先は、「ニューバスパーク」だ。ここで簡単にこれからのルートを示しておく。
 まず、カトマンズの「ニューバスパーク」から直行バスに乗ってインドとネパールの国境手前の「スノウリ」という所まで行く。そして「スノウリ」で一泊して翌日、国境を歩いて渡り、インド側からガンジス河で有名な「バラナシ」という所まで直行バスで行くのである。
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 僕らは「ニューバスパーク」に到着し、急いでバスチケットを窓口で購入した。早朝なのにバスと人が多かった。どれに乗ったらいいのか少し迷ったが、近くにいたネパール人が親切に教えてくれた。早速乗ってみたが、天井が結構低かった。しかも椅子の座り心地があまりよくない。
 バスは6:30AMに出発した。車内はさすがにネパール人だけだった。2人とも荷物が多いので置き場に困った。日本なら荷物入れ専用のスペースがあるのだが、ここは違った。全部車内持込だった。僕らは仕方なく通路に置いた。しかし、途中、何回か停留所に止まるので、その度に人の出入りが激しかった。みんながみんな荷物を通路に置いてるので降りる人も乗ってくる人も何回も荷物をまたいでいたのが面白かった。
 道は舗装されていないためデコボコ道が続いた。険しい山道を越えるため、ガードレールもない狭い坂道を結構なスピードで駆け抜けていく。途中何回もガケから落ちると思った。少し大袈裟かもしれないが、何回か死を覚悟した。
 途中、トイレ休憩が2回ほどあった。2回目の休憩場所はご飯も食べれる所だった。といっても軽食だが。ちょうどお昼どきだったため、友人が「ナン」を注文した。衛生は全く気にしていないようで、ハエがいっぱい飛び交っていた。僕はその光景を見てしまったため、ここで食べるのをやめた。
「おい、お前も何か食べといたほうがええで。」
「いや、こんなにハエがおったら食欲なくすわ。」
「そんなん気にしてたらアカンで。そんなんやったらインドでやっていかれへんで。」
「いやいや、インドにもちゃんとしたレストランはあるでしょう?」
「ないで。」
「あるわ!」
「いや、ない!」
 僕と友人で少し口論になってしまった。友人はカトマンズで風邪による体調不良から回復したため、抵抗力がついたと思っているのか強気になっていた。僕は事前に「地球の歩き方 インド」を読んでそれなりに研究していたため、油断はしなかった。友人が食べたナンにもハエは止まったりしていた。僕はここでは断固として食事しなかった。
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 結局、スノウリには14:30PMに到着した。8時間もかかった。とりあえず、昼食を食べてなかったので「スノウリG.H」という宿でチェック・インし、そのレストランでチーズナンと名前は忘れたが、ジャガイモ、グリーンピースのカレーみたいな食べ物を食べた。味は旨いとは言えなかった。まだここはネパールだが、ここで初めてインド料理を食べた。ご飯を食べてから部屋へ戻った。今回は初めて「ドミトリー」(大人数部屋)で泊まることにした。部屋には僕ら以外誰もいなかった。ベッドは6つあった。僕らは洗濯をして、両替所でネパールルピーからインドルピーに替えた。もうネパールルピーはほぼ用済みだ。
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 部屋でくつろいで、晩にまた同じレストランでターリーという食べ物を食べた。ターリーはネパールのダルバートみたいな食べ物で、味は激マズだった。夜になると多くのバックパッカーがやってきた。彼らはインドからネパールへ入国してきたのである。このドミトリー部屋もすぐに満杯になった。オーナーの気遣いからか、全員、日本人だった。一人はインドで食あたりになって今現在も体調が万全ではなかった。みんな日焼けして髭も伸びていた。インドがすさまじい所だと思った。彼らと色々な情報交換をし合った。
 明日はほんとにインドなのかと思うと本当にドキドキした。怖えぇ!僕は疲れたので耳栓をして先に爆睡した。
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国境手前(ネパール側)にて(左が私)
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# by heartfield | 2005-07-27 19:28 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.03.02 旅6日目

 今日は7:30AMすぎに起床した。昨日買ったパンを2つ食べながら、「地球の歩き方 インド」を読んで軽くインドについて予習した。いよいよ明日にはインドに向けて出発するからだ。友人の体調も良くなってきていた。お昼前に2人供、シャワーを浴びて12:00PMすぎに昨日行った中華料理屋へ再び向かった。昼食は「チキン焼飯」(60ルピー)を食べた。パサパサしていたが、それなりに美味しかった。
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 その後、少し街をぶらついてからホテルへ戻った。再度、「地球の歩き方 インド」を見て、インド研究した。昼寝も1時間ぐらいした。気がつけば18:00PMを回っていた。18:30PMすぎに、僕らはまたまた中華料理屋へ向かった。今日はネパール最後の夜ということで、豪華ディナーにした。メニューはビール1本と白めし2皿、おかず3品だった。合計425ルピー使った。でも満足した。その後は近くのマーケットでミネラル・ウォーターを買って帰った。そして、身支度を済ませて寝た。
 さあ、いよいよ明日はネパールとインドの国境まで行くのだ!国境を歩いて渡れると思うとさすがに興奮した。ツアーでは絶対できないことだからだ。でも少し日本が恋しくなった・・・




                 ***ネパールギャラリー***
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 部屋で「地球の歩き方 インド」を見ている私。手前に見える緑のロープは洗濯ひもである。部屋内にある洗面台でT-シャツやパンツを洗濯して(蛇口から出る水は茶色に濁っていた)乾かしていた。ここではカーテンレールとドアノブにひもを結んでいる。

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5日間お世話になったホテル玄関前より。ズボンはネパールで購入したもの。写真を撮ったのは朝だったため結構寒かった。

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ダルバール広場でサドゥーの芸を見入るネパール人達。
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タメル地区より。狭い路地をバイクや、オートリクシャー(3人乗りバイク)などがクラクションをバンバン鳴らしながら走り抜けていく。
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# by heartfield | 2005-07-25 20:40 | バックパッカーの旅日記(1)
2001.03.01 旅5日目

 今日は6:00AMに起床した。洗面台の蛇口をひねるとお湯が出た!朝方はどうやらお湯が出やすいようである。早速、裸になって温水シャワーを浴びた。久々に温かいお湯を浴びたので生き返るようだった。それから身支度をして再び30分寝た。10:00AMすぎにご飯を食べに外出した。
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 友人は昨日から風邪を引き出したので体調が良くない。下痢も続いていた。友人の体調回復のために今日は日本食を食べることにした。あらかじめ「地球の歩き方」で調べておいた「味シル」(味のシルクロードの略)という店を探した。その店は案外にすぐ見つかった。中に入ると全く人がいない・・お昼にしては少し時間が早かったせいもあるが、お店が今日やってるのかどうか不安になった。しかし、すぐに店員が来て案内してくれたので安心した。
 僕らはテーブルに座って早速メニューを見た。やはり日本食店だ。すべて日本語で記してあった。正直、ネパール料理に少しうんざりしていたので、ここで日本食が食べれると思うととても嬉しい気分だった。結局、僕はチキンカツ丼、友人はカツ丼を注文した。しばらくして運ばれてきたそれは少し変わった丼ぶりだった。なんとたまねぎが紫なのである。色合いが変で少し食欲が減退したが、実際に食べてみると日本とさほど変わらない味だった。丼ぶりを1つ頼んだだけなのに、味噌汁、ほうれん草のごまあえ、酢の物、大根おろし、デザート(プリン)がついてきた。これで140ルピーだった。安い安い。昼食を食べ終わると急に軽いホームシックにかかった。
(もうネパールはいいわ。早く日本に帰りてぇ~。)
 しかし、日本行きのチケットの日付はあと3週間後だ。僕らは格安航空券を買ったのでどうしても日付の変更は効かないのである。
 肩をがっくりさせながらも気持ちで負けてはならまいと思い、気合を入れなおした。僕らは「ニューロード」という場所まで昨日フィルムを頼んでいたので取りに行った。写真は上出来だった。それから、昨日と同じパン屋でパンを4つ買ってホテルへ戻った。
 一時間休憩してからまた外出した。今日の大きな目的は「ボダナート」というネパール最大のストゥーパ(仏塔)へ行くことだった。タメル地区からは結構離れているので徒歩ではかなりきびしい。僕らは「オールドバスパーク」というバスターミナルまで歩いて行った。そして難なく「ボダナート」行きのバスに乗車した。しかし、これからが悲劇の始まりだった。
 このバスは「ボダナート」への直通ではなく、各停留所へ止まりながら進むのである。最初の時点で結構人は乗車していたのだが、各停留所へ着くたびに大勢の人が乗車してくる。バスから降りる人は少なく、乗車してくる人が圧倒的に多い。日本で言う満員電車並みになってきた。しかし、ここからが日本と違う。このバスは乗車率のことなど全く考えていない。はっきり言ってもう身動きが出来ないくらい、人と人の隙間がないくらいのギュウギュウ詰め状態にも関わらず、どんどん人が乗車してくる。叫びたくなった。人が人を圧縮してる感じだった。
(く、苦しい・・いいかげんにしろよなぁ!まだ着かへんのか!?)
 もう僕は限界に近かった。友人と何とか話すことができたので絶対、次の停留所で降りようということになった。次の停留所へ着くや否や、ありったけの力をふりしぼってバスから何とか脱出した。場所的には「ボダナート」の近くまでは来ているはずだが、ここがどこだかわからない。人影も少ない。僕らは仕方なく田舎道を歩き出した。タメル地区が都会だとしたら、この辺はまさに田舎だった。近くにいるネパール人にボダナートがどこにあるのか英語で訊いてみるが、英語がほとんど通じなかった。それでも「地球の歩き方」に載っているボダナートの写真を見せながら何とかコミュニケーションをとって、ボダナートの方向へ着実に進んでいった。
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 僕らはまず、ボダナート方面の途中にあった「パシュパティナート」と言われる火葬場もあるネパール最大のヒンドゥー寺院へ行った。しかし、中へはヒンズー教オンリーだったため入ることが出来なかった。仕方なく引き返し、近くの売店でドーナツを買って食べながらボダナートを目指した。
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 ボダナートへ到着した頃には17:00PMを回っていた。しかし、中はライトアップされており、入り口付近で大勢のお坊さんがお経を読んだり、祈ったりしてて、何かよくわからないがその光景に感動してしまった。
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 僕らはすっかりこの光景にやられていた。空を見上げると星が点々と見えていた。日本で見る星と同じだった。ここからでも星は見えるんだ。当たり前のことだが、僕らはここへ来てやっと気づいた。世界はつながってるんだって。涙がこぼれそうになった。と、そこへバクシーシといわれる小さな女の子が僕の方へやってきた。足は裸足で、髪の毛は何日も洗ってない感じだった。彼女は右手を差し出していた。僕はネパールへ来てはじめて、この子にお金をあげた。女の子は「サンキュー」と言って、ニコっと笑ってどこかへ消えていった。
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 僕らはしばらく大勢のお坊さんがお経を唱えている様子を見て感動に浸りながらここを後にした。外へ出るとタメル地区行きのミニバスが止まっていた。僕らは運転手にお願いして乗せてもらった。バスは無事に「オールドバスパーク」へ到着した。
 夕食は中華料理屋でチャーハンと春巻きを食べた。今日はさすがに足が疲れた。ホテルへ戻るや、僕らは爆睡した。



 
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# by heartfield | 2005-07-21 19:11 | バックパッカーの旅日記(1)